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「聞く」は声が耳に入ってくることで、「聴く」は声に耳を傾けること――。「聴く」のほうがむずかしそうに見えて、実は「聞く」ほうがむずかしい。「聞く」の不全が社会を覆ういまこそ「聞く」を再起動しなければならない。そのためには、それを支える「聞いてもらう」との循環が必要だ。小手先の技術から本質まで、読んだそばからコミュニケーションが変わる、革新的な一冊。
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Posted by ブクログ
とても優しい本で心が温かくなりました。 人の話を聞くためには、自分も人から話を聞いてもらう必要がある。 人を孤立から救うためには、カウンセラーといった専門家のちからより、日常のなかで人々が近しい話を聞き、聞いてもらうという連鎖が生まれる環境の方がよっぽど大切。 「やさしくされることでしか、人は変...続きを読むわれないし、回復できません」というのは真理だと思う。 まずは周りの人の話を聞くことから始めようと想いました。
孤立とはどういう状態か 孤立しているときには、僕らは「ひとりぼっちだ」とか「寂しい」とは思えません。 みんなから馬鹿にされているとか、自分なんてダメ人間だとか、死んだほうがいい とか、心の中には自分を責める声が吹き荒れています。 そこには想像上の悪しき他者がいます。 カウンセリングをやっているとよく...続きを読むわかるのですが、「寂しいです」とクライエン トが言いはじめたときって、そういう悪い他者たちがふと消えて、静かになったとき なんですね。 心の中を飛び交ううるさい声が消えて、ポツンと一人でいる自分に気が付く。する と、「ああ、私は寂しかったんだ」と思える。 これが孤独です。 ですから、「寂しい」と語られるようになるとき、孤立は孤独に変わっています。 治療は前進し、心は前に進んでいます。 繰り返します。 心の世界に悪い他者がゥョゥヨしているか、一人でポツンとしているか、それが孤 立と孤独の差異です。 したがって、前章で述べた「孤独」にはこの二つの意味が混ざっていたと言えます。 整理すると次のようになる。 孤立しているときには話は聞けないけど、孤独になれるならば話を聞くちからが戻ってくる。 僕らはバラバラになった社会で生きていて、お互いのことがわからなくなっている。 その裂け目を埋めるために、使われているのが専門知なのでしょう。 自分の世間知では理解できないものを、専門知が名前を付けて、知識を与えてくれ ます。たとえば、病気の名前をつけてくれて、どう配慮すればいいのかを教えてくれ るわけです。 世間のちから ここで補助線を引くために、医療人類学の泰斗クラインマンのヘルス・ケア・システム理論を紹介しましょう。 クラインマンは、それぞれの地域には、人々の健康をケアするためのシステムがあると言い、それを専門職セクター/民俗セクター/民間セクターpopular sectorの3つに分けました。それらが補い合いながら、僕らの心身の健康を保ってくれているわけです。 説明していきましょう。 まず、専門職セクターとは、医者とか看護師とか、あるいは心理士もここに入りますが、ようはその社会で公認された専門家のことです。 現代社会だと科学に基づく治療を行う専門家になりますが、昔の日本だと漢方とか が専門職セクターに入っていましたし、古代インドだとアーユルヴェーダが公式の治 療になったりします。 これに対して、民俗セクターは、非公認の専門家たちです。 現代日本だと、アロマセラピストとか占い師とか拝み屋さんとかは民俗セクターで すね。専門職セクターと民俗セクターの境界線は 時代とか社会によって揺れ動きます。 僕は以前に『野の医者は笑う』という本を書い ていて、沖縄のシャーマンとかスピリチュアル・ セラピストと心理士の比較を行いました。 民俗セクターと専門職セクターの治療者はどこ が同じで、どこが違うのかという問題を考えてみたわけです。 専門家は普通の人が互いにケアすることを助けるために存在しています。 ただし、専門知にも弱点があります。 「うつだから」とか「発達障害だから」という言葉を使うことで、「これは専門家に 任せておけばいいや」となってしまうのでは本末転倒です。それは余計に困っている 人を孤立させてしまいます。 ですから、専門知は世間知に溶けやすいものである必要がある。 カウンセラーの仕事は通訳 カウンセリングというと、カウンセラーが特別な聞き方をして、心を癒しているみたいなイメージがあるかもしれませんが、そうではないんです。 ほとんどの場合、クライエントの心に回復をもたらしているのは、身近な人たちです。本人のわかりにくくなってしまった言葉が、まわりに理解され、心配してもらえ るようになり、話をきちんと聞いてもらえるようになると、心はだんだんと安心感を 取り戻し、つながりが再生していきます。 カウンセラーの仕事は通訳です。 本人の言葉を翻訳して家族に伝える。あるいは、本人の異常事態になってしまった 心がしゃべっている言葉を翻訳して、本人の通常運転しているほうの心に伝える。 彼自身に彼のことを伝えるということです。そうすると、彼自身が自分について周 囲に伝えられるようになる。 聞く技術本質編 「なにかあった?」と尋ねてみよう。 どうしてもそう言えないときには、聞いてもらうから、はじめよう。 聞いてもらう技術 本質編 「ちょっと聞いて」と言ってみよう。 今はそう言えないときには、聞くところから、はじめよう。
コロナウイルスが世界を震撼させたとき、菅首相の言葉は、メルケル首相の言葉のようには自国民に響かなかった。なぜか? 菅首相の言葉は「聞いて」もらえなかった。国民に不自由を強いる緊急事態を詫びたメルケル首相の言葉は「聞いて」もらえた。著者は言う。「話を聞いてもらうためには先に聞かなくてはならない。」聞...続きを読むくことが聞いてもらうためには重要で、聞いてもらうためにも聞くことが重要だ。どちらから始めてもいい。両者はグルグルと巡り続ける。あまりにも自由で孤立しやすい現代社会に蔓延する病魔はコロナウイルスだけではない。「聞けない」「聞いてもらえない」という悪循環が目下、流行中だ。そこから抜け出して「聞く」「聞いてもらう」の循環へ。 本書の目的は、この転換の第一歩の踏み出し方を読者に伝えることだろう。 話を聞くことも、聞いてもらうことも、私たちは呼吸をするが如く日常的に行なっている。ときとして、しかしそれが難しくなる。相手が理解不可能のエイリアンに見えてきて、自分は敵に囲まれた孤立状態に陥ってしまう。エイリアンの話は聞いても理解できないし、敵に話を聞いてもらうなど愚かだ。そんな場合に心理士の専門知は役立つ。しかし、それと同じくらい、あるいはそれ以上に家族や友人、なんでもない身近な人が意味を持つ。彼らは第三者となって停滞した循環に潤滑油を指してくれる。そうして2人を対話のテーブルに向かい合わせる。仕上げは「時間」と言う名の魔法の粉だ。両者は時間をふんだんにかけて、十分な理解(あるいは愛)を手に入れるのだ。 だから急いではいけない。聞く時間、聞いてもらう時間はファミレスでの数時間では不十分だ。帰り際には一言、「また会おう」が必要なのだ。 ーなにかあった? ーちょっと聞いてよ ーなになに? ーマジでさあ・・・ 始めは聞く側でもいい、聞いてもらう側でもいい。 循環はそこから始まり、回りだす。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・病人役割 ・worldly wisdom/wisdom of world ・フロイト:「中立性」「転移」 ・「幽霊の正体見たり枯れ尾花」 ・つながりは受動的なもの。気付いたときには自分の周りを取り巻いている ・専門知が世間知の限界を補い、世間知が専門地の暴走を制御する ・専門知は変数である ・専門知は世間知に溶けやすいものでなければならない ・理解と愛情は≒ ・道徳は心と体が元気なときにやればいい。疲弊している人には「頑張れ」ではなく「お大事に」が必要。 ・専門知を得ると人はバカになりがち。何でもかんでも専門知で強引に分類し、自分が快感を得ようとする。全部を正しく見ようとしたら頭が破裂しそうなくらい複雑なはずの世界を、専門家は無理やり切り取って簡略化する。専門家になることは、ある意味ではバカになることである、という認識は必要。 ・「ふつう」という言葉は嫌われるが、大事なのはその使い方。混乱した状況を整理し、理解をもたらすような使い方においては十分有用。例:それは普通の状態を超えてるよ、と言われて自分がどれだけ苦しかったのかに気づく場合。 ・他者と共有していない時間の経過は、事態を悪化させがち。 ・エビデンスも論理も無駄に鋭くなれば、対話よりも対立を深め、お互いに信条を傷つけたくないだけのイデオロギー的偏向というこの世で最も忌むべき自己目的化が生まれる。 ・新聞やニュース番組などで両論併記できれば、二者の対立に閉じられたイシューが第三者に開かれる。高みでも中間でもない第三者の存在が、問題を健全な俎上に推し進める。 ・中立性は、自動的にマジョリティ擁護(保守)と同じになりかねない。
周りの人に勧めたい。 聞くという営みを一番活用している臨床の知見がわかりやすく語られている。 聞く・聞いてもらうがどのように現実に作用しているかであったり、新聞連載が元だったので社会状況も勘案した内容で興味深かった。
「人の話を聞く」前に 「自分の話を聞いてもらう」ことがいかに大事か とても当たり前のことだけど 誰も意識していないことを とてもわかりやすく…わかりやすいというか 目の前に筆者がいて、コーヒーでも飲みながら話してもらっているような とても親しみのわく言葉でポツポツと述べられています。 「孤立」や「...続きを読む取り残し」など そういうのがない社会にしよう、という風潮にあって、いろんな対策も考えられて実行される中で では何が最も有効かと言えば 「話を聞いてもらう」 という、ただそれだけ。 この本に書かれていることも、結局ただそれだけ。 これといったスキルや理論について書かれているわけでもなく(チートな気がしなくもない小手先スキルは紹介されていますが) 本当に、ひたすら 「話聞いてもらおう!」 ってだけです。 でも…確かに、 スランプに陥ったり、トラブルに出くわしたりした時、 どうやってそこから抜け出したか、と言えば やはり周囲の誰かに話を聞いてもらったことがきっかけだったりすることが 圧倒的に多かったように、自分の経験からも感じます。 私自身の職業柄、多少のカウンセリング側面を持たざるを得ない場面もあり そんな時は「話を聞いてあげる」だけで 信じられないくらい事態が収まることがよくあります。 取り留めもなく話すこと。 取り留めもない話をじっと聞いてあげること。 どちらも大事で どちらも「人」の、ひいては「社会」の基盤さえも作っていく。 なんでもないことに意識を向けてみることが 意外と重要だったりするよね、と思い出させてくれる1冊です。
聞くためには聞かれる必要があり、聞かれるためには聞く必要がある。聞くの循環が凄く面白かったし、納得した。聞くこと・聞かれることの凄さを再確認し、聞く・聞かれるを大切にしていきたい。
聞く技術に関する本はたくさんある。またうまくプレゼンする技術に関する本はたくさんある。 この本の特別なところは、その両者でもないところ。「聞いてもらう技術」というのが面白い。 本書で結構強調して述べられている(「聴く」よりも「聞く」のほうが実は難しい)というのはある意味発見である。本に書いてあるよ...続きを読むうに、私も聞くのは簡単で、聴くの方が難しく効果的なものだと思っていた。 けれど日々の生活の実感として、圧倒的に必要な場面が多いのは「聞く」であるし、また難しいものであるという認識がないのが始末に悪い。 家庭、職場での日々を振り返っても、実は難しい「聞く」の技術は伸ばすことができていないせいで日々のコミュニケーションに問題が起きている気がする。 「ちゃんと聞いてくれない」というフラストレーションが原因となって関係性が悪化しているケースがとても多いのではないか。
小手先のオウム返しなどの技術を紹介しつつ、社会における「聞く・聞いてもらう」重要性と危機感について書かれた1冊。仕事で傾聴、アセスメントスキルが必要になったので、時間をおいてからまた読み返したい。
聞く技術と聞いてもらう技術はセットである。第三者として自分が誰かの話を聞いてみる、それが、聞くがグルグル循環する最初の一歩となる。聞く人に心の余裕がないと聞くことができない。そのために聞く人は誰かに聞いてもらう。そういう風にして循環していくのだ。
「聞く」とは何か。私たちは日常から聞くことをしています。それが難しくなった現代。心に余裕がなければ聞くことも正しくできません。世間知の我々は大きな役割を実は担っています。 普段から気をつけていることもありますが、たまに読み返して心に留めておきたい言葉がたくさんあります。
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